先ほどからしきりに雷の音が聞こえる。近くまではきているのだろう。
どうもこの辺は避けているのかな?
2010年8月21日土曜日
さまざまなOS
パソコンを始めたのは1996年、当然最初のマシーンはプリインストールであるので、Windows95を使っていた。
いろいろ使い込んできて、ハードのことやソフトのこと、システムのあれこれを調べるうちに、WindowsだけがOSではないことが分かってきた。
[Linux]
最初行き当ったのは、Linux。Linuxも一つではない。いろいろなベンダーからそれぞれディストリビューションが出ていることが分かってきた。無償で使えるものから有償のものまで数多く存在する。
その中でも、はじめは何もわからないものだからTurboLinuxの有償版を購入した。おそらく3,980円ではなかったかと思う。市内の家電量販店だったろう。 一応サポートが付いているしマニュアル付きだからなんとかなるだろうと思った。そのうち無償版を使うようになりシステムの構築やアプリケーションのインストールなどある程度こなせるようになってきた。
これがおそらく1998年頃ではなかったのではと思う。あのころは、インストールしては削除して何度も同じモノを構築し直したり、そのたびにシステムを理解できるようになっている気がしてそれはそれで楽しかったものだ。
Linuxの主なディストリビューション
今は専らDebian系のUbuntuを使っている。
各ディストリビューションの比較はウィキペディアの「Linuxディストリビューションの比較」に詳しい。
[BTRON]
ウィキペディアの「TRONプロジェクト」の項によれば
「TRONプロジェクトは、近未来の高度にコンピューター化された社会において協調動作する分散コンピューティング環境の実現を目指する目的で、1984年に東京大学の坂村健によって提唱された、コンピュータ・アーキテクチャを再構築するプロジェクトである。」
ということらしいが、そのプロジェクトが出していたパソコン用のOSがあった。BTRONという。
特徴的な仕様として「実身・仮身システム」というのがあった。いろいろ優れたところもあったようだがある程度使い込まないと分かりにくいところもあり広がりは見せなかったようだ。
[BeOS]
BeOSというのもあった。開発はすでに終了していて、後継としてHAIKU プロジェクトなどに引き継がれているようだ。
たぶん、2000年頃市販のパッケージを購入してしばらく使ったことがある。
コンピュータ関連の雑誌には、記事の他にCDに収録されて各種OSやアプリケーションソフトなど数多く紹介されていることが多い。それらを試してみるのもひとつの楽しみであった。
いろいろ使い込んできて、ハードのことやソフトのこと、システムのあれこれを調べるうちに、WindowsだけがOSではないことが分かってきた。
[Linux]
最初行き当ったのは、Linux。Linuxも一つではない。いろいろなベンダーからそれぞれディストリビューションが出ていることが分かってきた。無償で使えるものから有償のものまで数多く存在する。
その中でも、はじめは何もわからないものだからTurboLinuxの有償版を購入した。おそらく3,980円ではなかったかと思う。市内の家電量販店だったろう。 一応サポートが付いているしマニュアル付きだからなんとかなるだろうと思った。そのうち無償版を使うようになりシステムの構築やアプリケーションのインストールなどある程度こなせるようになってきた。
これがおそらく1998年頃ではなかったのではと思う。あのころは、インストールしては削除して何度も同じモノを構築し直したり、そのたびにシステムを理解できるようになっている気がしてそれはそれで楽しかったものだ。
Linuxの主なディストリビューション
- Red Hat Linux
- VineLinux
- Slackware
- KNOPPIX
- Fedora
- Debian
今は専らDebian系のUbuntuを使っている。
各ディストリビューションの比較はウィキペディアの「Linuxディストリビューションの比較」に詳しい。
[BTRON]
ウィキペディアの「TRONプロジェクト」の項によれば
「TRONプロジェクトは、近未来の高度にコンピューター化された社会において協調動作する分散コンピューティング環境の実現を目指する目的で、1984年に東京大学の坂村健によって提唱された、コンピュータ・アーキテクチャを再構築するプロジェクトである。」
ということらしいが、そのプロジェクトが出していたパソコン用のOSがあった。BTRONという。
特徴的な仕様として「実身・仮身システム」というのがあった。いろいろ優れたところもあったようだがある程度使い込まないと分かりにくいところもあり広がりは見せなかったようだ。
[BeOS]
BeOSというのもあった。開発はすでに終了していて、後継としてHAIKU プロジェクトなどに引き継がれているようだ。
たぶん、2000年頃市販のパッケージを購入してしばらく使ったことがある。
コンピュータ関連の雑誌には、記事の他にCDに収録されて各種OSやアプリケーションソフトなど数多く紹介されていることが多い。それらを試してみるのもひとつの楽しみであった。
2010年8月19日木曜日
消えていった記憶媒体
パソコンを導入した頃(1996年)記憶媒体と言えば、フロッピーディスクが主流であった。作成した文書やデータはフロッピーに保存するというのが当たり前のように行われていて、データの受け渡しなど便利で重宝する存在であった。
それが今では、ハードディスクの大容量化やUSBメモリの普及で、すっかり周りから姿を消した。
自分でも使わなくなって久しいので、すっかり忘れていたのだがある新聞の囲み記事に懐かしいフロッピーの記事を目にして、よくお世話になっていた頃のことを思い出した。
フロッピーディスク以外にもその時その時でいくつかの記憶媒体を使ってきた。その多くが今では処分して手元にない。
代表的なものをいくつか書き留めておく。
またOSや各種アプリケーションソフトのインストールメディアとしても使われていた。店舗では、10枚入りや20枚入りがよく売れていたようだが、50枚とか100枚とかの単位でも売られていた。
フロッピーディスクについての詳細はWikipediaに詳しい。
それが今では、ハードディスクの大容量化やUSBメモリの普及で、すっかり周りから姿を消した。
自分でも使わなくなって久しいので、すっかり忘れていたのだがある新聞の囲み記事に懐かしいフロッピーの記事を目にして、よくお世話になっていた頃のことを思い出した。
フロッピーディスク以外にもその時その時でいくつかの記憶媒体を使ってきた。その多くが今では処分して手元にない。
代表的なものをいくつか書き留めておく。
- フロッピーディスク
またOSや各種アプリケーションソフトのインストールメディアとしても使われていた。店舗では、10枚入りや20枚入りがよく売れていたようだが、50枚とか100枚とかの単位でも売られていた。
フロッピーディスクについての詳細はWikipediaに詳しい。
- ZIP100
2010年8月18日水曜日
2010年8月13日金曜日
パソコン自作のこと
自作機に挑戦したのはいつの頃だったか忘れたが、最近では2007年頃に組んだのが最後ではなかろうか。
自作機では完成するまでの間が楽しい時間である。どんなパソコンに仕上げるかを決めて、パーツの選定に入る。それができたら何をどこで購入するのか。パソコンの専門店やオンラインショップ、または大型電気店など、安い店舗やすぐに間に合う所などいくつかショップを決めて置く。
古いパーツで使い回しのできるものは使うなど基本設計がだいたい頭の中でまとまったら、いよいよパーツの注文に入る。そして組み立てにかかる。
マザーボードにCPUを取り付け、メモリを差し込みビデオカードなど必要なパーツを装着、ジャンパピンの設定をする。次に、ケースに電源を取り付けて、マザーボードをケースに取り付け、ケースのスイッチなどの各線を接続すればだいたい完成だ。
後はケースを閉じて、本体とモニタを接続し電源コードを繋げば出来上がりだ。
これでスンナリと起動するかといえば、それがそう簡単には行かないところが自作の面白さとも言える。
最近のマザーボードは、ビデオカードやLANカードを差し込まなくてもボード上にチップが組み込まれている、いわゆるオンボードがほとんどなのでそのままでもすぐに使えるのが多いが、 当時はマザーボードと各カードの相性などで悩むことも多々あったものだ。
幸いなことにNet上には、様々な情報が出ているのでそれを検索しながら一つ一つ解決してゆく。それもまた、楽しみの一つとなる。
参考になるサイト
オンラインショップなどは、あまりの安売りが祟って消えてしまつたとこもある。やすもの狙いには少々寂しいものがあった。
早いもので15年ぐらいのPC歴になるのだが、この間の進化は早かった。
自作機では完成するまでの間が楽しい時間である。どんなパソコンに仕上げるかを決めて、パーツの選定に入る。それができたら何をどこで購入するのか。パソコンの専門店やオンラインショップ、または大型電気店など、安い店舗やすぐに間に合う所などいくつかショップを決めて置く。
古いパーツで使い回しのできるものは使うなど基本設計がだいたい頭の中でまとまったら、いよいよパーツの注文に入る。そして組み立てにかかる。
マザーボードにCPUを取り付け、メモリを差し込みビデオカードなど必要なパーツを装着、ジャンパピンの設定をする。次に、ケースに電源を取り付けて、マザーボードをケースに取り付け、ケースのスイッチなどの各線を接続すればだいたい完成だ。
後はケースを閉じて、本体とモニタを接続し電源コードを繋げば出来上がりだ。
これでスンナリと起動するかといえば、それがそう簡単には行かないところが自作の面白さとも言える。
最近のマザーボードは、ビデオカードやLANカードを差し込まなくてもボード上にチップが組み込まれている、いわゆるオンボードがほとんどなのでそのままでもすぐに使えるのが多いが、 当時はマザーボードと各カードの相性などで悩むことも多々あったものだ。
幸いなことにNet上には、様々な情報が出ているのでそれを検索しながら一つ一つ解決してゆく。それもまた、楽しみの一つとなる。
参考になるサイト
- PC Watch(パソコンやパーツの最新情報など)
- ITmedia+D (パソコンやパーツの最新情報など)
- Kakaku.com (パーツの価格比較によく使った)
- Vector (Freeのソフトウェアが多くある)
オンラインショップなどは、あまりの安売りが祟って消えてしまつたとこもある。やすもの狙いには少々寂しいものがあった。
早いもので15年ぐらいのPC歴になるのだが、この間の進化は早かった。
2010年8月12日木曜日
PC事始
1996年6月Windows95搭載のGetwey製パソコンを24万いくらかで、Getwey直販で購入。
さて、いざ段ボール箱が着いてみたもののパソコンなどそれまで触ったことなどなかったのだから、同梱されていたマニュアルを片手に汗を拭きふき、何とか接続したものだ。
次に立ち上げるわけだが、それが何度マニュアルを読んでも、よく判らない。
そこで同梱されていたSetup用のフロッピーを差しこんで起動スイッチを押したのだ。
普通は販売時点でちゃんと Setupして有るものだ。単に電源スイッチを入れればよかったものを余計なことをしたばっかりにインストールし直すハメになった。
サポートに電話をつないだまま約30分ほど冷や汗をカキながら奮闘したことを覚えている。
今となっては懐かしい思い出であるが、それがあったからか、それ以降たびたびハードをせつくようになって自作機も5台ではきかないだろう。
今は何台目かの自作機にUbuntu10.04が走っている。ソフトウェアも充実していてLinux系の各ディストリビューションは使えるOSと成ってきた。
パソコンを新規で始めようとする人の多くは、MicroSoftの最新のOS のプリインストールされたマシーンを購入することになるだろう。今なら、Windows7か?Windows7が決して悪いわけではない。まだ使ったことはないのでいい加減なことは言えないが、人気もそこそこいいようだし、前バージョンのWindowsVistaからするとかなり洗練された出来のように感じられる。
最初の入り口はそれでいいと思う。そのまま使い続けるのもいいし、別のOS を選択するのもありではないか。また、1台のパソコンに複数のOSを入れるデュアルブートもあるし、VirtualBoxでWindowsを起動したまま他のOSを起動さすこともできる。
MicroSoftのWindowsが全てではないことを是非とも知っておいてほしいと思う。
さて、いざ段ボール箱が着いてみたもののパソコンなどそれまで触ったことなどなかったのだから、同梱されていたマニュアルを片手に汗を拭きふき、何とか接続したものだ。
次に立ち上げるわけだが、それが何度マニュアルを読んでも、よく判らない。
そこで同梱されていたSetup用のフロッピーを差しこんで起動スイッチを押したのだ。
普通は販売時点でちゃんと Setupして有るものだ。単に電源スイッチを入れればよかったものを余計なことをしたばっかりにインストールし直すハメになった。
サポートに電話をつないだまま約30分ほど冷や汗をカキながら奮闘したことを覚えている。
今となっては懐かしい思い出であるが、それがあったからか、それ以降たびたびハードをせつくようになって自作機も5台ではきかないだろう。
今は何台目かの自作機にUbuntu10.04が走っている。ソフトウェアも充実していてLinux系の各ディストリビューションは使えるOSと成ってきた。
パソコンを新規で始めようとする人の多くは、MicroSoftの最新のOS のプリインストールされたマシーンを購入することになるだろう。今なら、Windows7か?Windows7が決して悪いわけではない。まだ使ったことはないのでいい加減なことは言えないが、人気もそこそこいいようだし、前バージョンのWindowsVistaからするとかなり洗練された出来のように感じられる。
最初の入り口はそれでいいと思う。そのまま使い続けるのもいいし、別のOS を選択するのもありではないか。また、1台のパソコンに複数のOSを入れるデュアルブートもあるし、VirtualBoxでWindowsを起動したまま他のOSを起動さすこともできる。
MicroSoftのWindowsが全てではないことを是非とも知っておいてほしいと思う。
2010年8月11日水曜日
突然の停電
昨日の早朝、というよりいろいろ聞いてみると日付が変わった頃らしいが、長時間の停電に見舞われた。幸い夜中は活動していないので別段困ったことはなかったのだし気づかなかったのだけど、朝5時頃、起きてトイレに行こうと電気のスイッチを入れてみるのにつかないのだ。他の電気も全くつかない。懐中電灯を引っ張り出してブレーカーを見ても落ちてはないようだ。
これは停電だと思って、川向をのぞいてみると点いている。街灯の明りも、交差点の信号も灯っている。これはこっちだけの現象だろうか、携帯電話を取り出して電力会社に問い合せてみようとしたのだが、携帯電話も圏外になっていて使えない。これはますます異常だ。
昔読んだ小松左京のSF小説に「首都消失」というのがあったように思う。東京都のかなりの範囲が厚い雲に覆われて、通信もできない、交通も麻痺して大パニックに襲われるというものだ。
それではないかと、ふと頭をよぎった。とりあえず状況を把握しなければならない。下着のままで表へ出て川向の街灯のついてるところまで出てみた。早朝ウォーキングをしてる人に出会う。聴いてみるとこの辺も同じようにさっきまで停電であったとのこと。どうも順々に回復しているらしい。
そうこうしているうちに、5時40分頃であったろうか、電気が復旧した。携帯電話が復旧したのはそれからしばらく後だ。
原因はなんだったんだろう。
これは停電だと思って、川向をのぞいてみると点いている。街灯の明りも、交差点の信号も灯っている。これはこっちだけの現象だろうか、携帯電話を取り出して電力会社に問い合せてみようとしたのだが、携帯電話も圏外になっていて使えない。これはますます異常だ。
昔読んだ小松左京のSF小説に「首都消失」というのがあったように思う。東京都のかなりの範囲が厚い雲に覆われて、通信もできない、交通も麻痺して大パニックに襲われるというものだ。
それではないかと、ふと頭をよぎった。とりあえず状況を把握しなければならない。下着のままで表へ出て川向の街灯のついてるところまで出てみた。早朝ウォーキングをしてる人に出会う。聴いてみるとこの辺も同じようにさっきまで停電であったとのこと。どうも順々に回復しているらしい。
そうこうしているうちに、5時40分頃であったろうか、電気が復旧した。携帯電話が復旧したのはそれからしばらく後だ。
原因はなんだったんだろう。
2010年8月7日土曜日
OpenOffice.orgを標準オフィスソフトに
最近のニュースにこんなのがあった。
北海道深川市がOpenOffice.orgを標準オフィスソフトに、収録CD配布も - ニュース:ITpro
オープンソースが、自治体にも採用するところが出てきたのはいいことだ。確か昨年あたりには、会津若松市も採用してたのではないかと思う。
会津若松市がOpenOffice.org収録CD-ROMを無償配布、アシストが協力
OpenOffice.orgも最初の頃のバージョンには、互換性の問題など数多く存在していて手作業で設定変更などしなければならなかったが、今ではそう言うことなどほとんどない。
OpenOffice.orgの詳細は
「OpenOffice.org日本ユーザー会」
「ウィキペディアのOpenOffice.orgに関する項目」 など、個人で使い方など発信しているサイトもある。
北海道深川市がOpenOffice.orgを標準オフィスソフトに、収録CD配布も - ニュース:ITpro
オープンソースが、自治体にも採用するところが出てきたのはいいことだ。確か昨年あたりには、会津若松市も採用してたのではないかと思う。
会津若松市がOpenOffice.org収録CD-ROMを無償配布、アシストが協力
OpenOffice.orgも最初の頃のバージョンには、互換性の問題など数多く存在していて手作業で設定変更などしなければならなかったが、今ではそう言うことなどほとんどない。
OpenOffice.orgの詳細は
「OpenOffice.org日本ユーザー会」
「ウィキペディアのOpenOffice.orgに関する項目」 など、個人で使い方など発信しているサイトもある。
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