今年の桜の開花は、去年が早かったこともあって、かなり遅いような気がする。3月13日に、河川公園のトイレ横にある桜の木。去年から勝手に標本木にしている。
3月28日。かなり咲き始めた。ここのところの陽気で一気に開き始めている。こうなれば早いのだが、今年はまだ寒い日もありそうだ。
4月4日ほぼ満開に近い。機能の日曜日は曇り空で肌寒かったが、それでも花見客がチラホラと見られた。
2011年4月1日金曜日
今日の記事から
常に、周りを気にしながら、必要以上に気を使いながらが日本人のやり方として定着していたのではなかろうか。
東日本大震災:私たちにできること 脳科学者・茂木健一郎さん
大震災に見まわれた東日本。大きな喪失感の中で今「私たちにできること」とは--。
(中略)
西日本まで縮こまることはありません。復興には多額の資金が必要であり、経済を活性化させないといけません。いつも通りに物を作り、生活し、花見 もする。生きることの多様性を保たなければ。大阪や九州は安全だとアピールし、外国から観光客を呼んで稼ぐことも重要だと思います。
この10~20年、日本は神経症のようにルールを過剰に重視し、例外的なものを認めない社会でした。市川海老蔵さんの事件、京大入試のカンニン グ……ささいな事柄で大騒ぎしていた。電車が時刻通りに来ること、コンビニの棚に商品があふれていること、レジで待たされないことが、重要だったのでしょ うか。
(以下略)
2011年3月31日木曜日
生活のあり方
2011年3月11日、東方地方太平洋沖地震が起こった。被害は広範囲にわたり、2週間余りたった今でも行方不明者の実態さえつかみきれていない。復興のめどもついてない。おまけに、福島原発で起こった放射能漏れ事故。これも、いつ安定するのかもわからない。
印象に残った記事
印象に残った記事
●「安全」方便にすぎず 愛媛新聞社(2011年3月30日の記事から)
これは原発事故を「リスク」としてとらえ、その発生確率と影響を定量化して管理するというもの。要するに、確率を使って客観性を装う安全管理手法なのだが、たとえ1万分の1の確率であろうと、実際に起きてしまえば確率にはなんの意味もない。彼らは、「安全評価」という名のもとに、自らの役割も定量化して責任の低減をはかろうとしているのではなかろうか。
(中略)
さらに今回の事故であらためて露呈したのは、原発の安全は電気でしか確保できないということである。発電機の安全を電気で確保するというのは根本的に矛盾しており、欠陥システムとしか言いようがないのだ。 (ノンフィクション作家 高橋秀美氏)
● 第130回 システムの「想定」にまつわる想像力とは
どこまでを「想定」するかということになると、工学的には、既存の蓄積されたデータを集め、それを統計処理して、運用期間内で99.9何%はこの範囲と いった計算をし、さらに安全率などを見込んで倍率をかけ、よってここまで想定すればOKといた考え方をするのが普通だろう。工学的な考え方としては間違っ ていないように見える。しかし、自然現象に対しては実は問題があったということになるだろう。蓄積されたデータといっても、しょせんは「科学」が定着した せいぜい百数十年程度の期間しか統計処理に適するようなデータはないはずで、われわれが持っている自然現象のデータなどは極めて限定的なものであるから だ。そしてまた、その想定の是非というものは、せいぜい各個人の高々数十年の人生経験の範囲であったり、高々数千年ばかりさかのぼることができる程度の歴 史記録の範囲で検証されるに過ぎないように思われる。よって今回のような前例のない規模の自然現象は想定できない、ということになるのだろう。
●反原発と推進派、二項対立が生んだ巨大リスク
原発を含めて日本の原子力技術受容の歴史について振り返って書いた『「核」論』では原子力反対派と推進派が互いに不信感をもって向き合い、最良な妥協点を見出せなくなっている事情を書いた。福島第一原発はまさにこうした構図の中に置かれてきていた。
2011年3月13日日曜日
大地震から2日
当たり前に供給されると思っていたサービスが受けれなくなる。こうも簡単にライフラインが崩れるのか。
今度の地震は改めてライフラインのもろさを感じさせた。過去に経験したことのない揺れと津波による被害。
遠く離れたここ愛媛においても、人事ではない。福島の原発の事故など、伊方原発を持つ愛媛にも同じようなことがいつ起こらないとも限らない。
常日頃の防災意識を持って準備をしておけと言っても、想定を遥かに超えたような規模で災害が押し寄せてきたとき、人間は自然の猛威の前に無力であると実感させられる。
ネット上ではいろいろ情報が飛び交う。リアル性においてはこれに勝るものはない。しかしその質においては、疑問符がつくような情報も平気で飛び交う。便利だが危うさも同時に兼ね備えた社会構造になっている。
今度の地震は改めてライフラインのもろさを感じさせた。過去に経験したことのない揺れと津波による被害。
遠く離れたここ愛媛においても、人事ではない。福島の原発の事故など、伊方原発を持つ愛媛にも同じようなことがいつ起こらないとも限らない。
常日頃の防災意識を持って準備をしておけと言っても、想定を遥かに超えたような規模で災害が押し寄せてきたとき、人間は自然の猛威の前に無力であると実感させられる。
ネット上ではいろいろ情報が飛び交う。リアル性においてはこれに勝るものはない。しかしその質においては、疑問符がつくような情報も平気で飛び交う。便利だが危うさも同時に兼ね備えた社会構造になっている。
2011年3月11日金曜日
時事ドットコム:東北地方太平洋沖地震 写真特集
時事ドットコム:東北地方太平洋沖地震 写真特集
遠く離れているから揺れは感じなかったので知らなかったのだが,ニュースを見るとすごいことになってるみたいだ。
遠く離れているから揺れは感じなかったので知らなかったのだが,ニュースを見るとすごいことになってるみたいだ。
2011年3月4日金曜日
逆戻り
3月まだ春と呼ぶには早いが、梅の花も咲いて暖かくなりだしたと思っていたら寒波が戻ってきた。
寒さのせいでもないが、Ubuntu10.04のデスクトップ表示がおかしくなってどうやっても元に戻らなくなったので、いっそのことUbuntu10.10でインストールし直した。
どうおかしくなってしまったかというと、外観の設定で視覚効果の選択ができなくなってしまったのだ。
通常効果にしても、ログアウトして際ログインするとまた効果なしの設定に戻っている。
何かを削除した時に関連するドライバーも削除されたらしい。
こういうことは今までにも何回かあったから、こまめに必要ファイルはバックアップしているので再設定自体はさほど苦にはならない。ただ以前は、ナローバンドであったからアプリケーションの再インストールは何日もかかる大仕事であった。
ところが、最近本の2週間前でアルが我が家にも高速回線がやってきた。 何と早いことか。OSのダウンロードなど1日以上かかっていたものが、1時間ほどで可能になるだろう。
今日1日でほぼ必要な設定は終わった。また色々せつきながら同じようなことが起きるかもしれない。
バックアップは、手動でも自動でもこまめにとっておくに限る。
もうそろそろ最後の寒波ぐらいになるのだろうか。やっぱり暖かいのがいい。
寒さのせいでもないが、Ubuntu10.04のデスクトップ表示がおかしくなってどうやっても元に戻らなくなったので、いっそのことUbuntu10.10でインストールし直した。
どうおかしくなってしまったかというと、外観の設定で視覚効果の選択ができなくなってしまったのだ。
通常効果にしても、ログアウトして際ログインするとまた効果なしの設定に戻っている。
何かを削除した時に関連するドライバーも削除されたらしい。
こういうことは今までにも何回かあったから、こまめに必要ファイルはバックアップしているので再設定自体はさほど苦にはならない。ただ以前は、ナローバンドであったからアプリケーションの再インストールは何日もかかる大仕事であった。
ところが、最近本の2週間前でアルが我が家にも高速回線がやってきた。 何と早いことか。OSのダウンロードなど1日以上かかっていたものが、1時間ほどで可能になるだろう。
今日1日でほぼ必要な設定は終わった。また色々せつきながら同じようなことが起きるかもしれない。
バックアップは、手動でも自動でもこまめにとっておくに限る。
もうそろそろ最後の寒波ぐらいになるのだろうか。やっぱり暖かいのがいい。
登録:
投稿 (Atom)





